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2006.07.16 (Sun)

フランス近代 ドビュッシー以前 ②

前回は、ビゼーまでをかなり強引な駆け足で紹介したところでした。
今日は1840年以降生まれの作曲家からです。色文字は、私の独断と偏見によるオススメ作品です。

シャブリエ(1841-1894)は、一般に考えられているよりも、この後の作曲家に多大な影響を与えた作曲家です。シャブリエはアマチュアの日曜作曲家で、本業は内務省の官吏でした。かなり革新的な作曲家で、旋法や5音音階を取り入れて、大胆な和声を用いて作曲するのですが、ピアノ曲で確かめて、その後管弦楽曲にも応用していきました。この書法はドビュッシーやラヴェルらに大きな影響を与えました。作品は「10の絵画的小品」というピアノ曲とこれを彼が4曲選曲して管弦楽用に編曲した「田園組曲」、あと有名なのは狂詩曲「スペイン」です。

マスネ(1842-1912)はパリ音楽院でトマに作曲を学びローマ賞獲得後、パリ音楽院の教授としてつとめ、ケクランやフロラン・シュミットの先生でもありました。一般にはオペラが有名で、特にタイスの瞑想曲が有名ですが、さっきのシャブリエの「田園組曲」やビゼーの「アルルの女」組曲を生み出すきっかけとなった「管弦楽組曲」でフランスの管弦楽組曲の形式を確立しました。

そしてフォーレ(1845-1933)。サン=サーンスに学び、国民音楽協会の設立に加わり、後年パリ音楽院の教授や院長を務め、ラヴェル、フロラン・シュミット、ケクランを指導しています。その作風は初期から中期、晩年にかけて変化していきます。かなりの作品がありますが、歌曲、ピアノ五重奏曲、ヴァイオリン・ソナタ、ピアノ作品、どれをとってもデリケートな作品です。
デュパルク(1848-1933)はわずか16曲の歌曲で名を残した作曲家。フランクにピアノを学び、500曲近くの歌曲を作曲しながら、16曲を残してあとは破棄するという自分の作品に厳しい人です。その音楽はうっとりする美しさにあふれる歌曲「旅へのいざない」が素晴らしいです。

そしてダンディ(1851-1931)ですが、ピアノをマンモンテルに学び作曲をフランクに師事し、最年少で国民音楽協会に参加しました。また、後年パリ音楽院と対立することになるスコラ・カントルムを創設、ルーセルやサティがここで学びます。フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルとも親交がありました。この時代の作曲家によくあるのが、ワーグナーに傾倒するという事態ですが、ダンディも一時ハマったようですが、やがてフランス的な作曲家になります。作品はフランス山人の歌による交響曲山の夏の日があり、少しワーグナーの香りがします。

やはり、ドビュッシーにたどり着くのに後1回必要です。
ここまでお付き合い頂いた方はすでにお気づきだと思いますが、パリ音楽院の連綿とつながる師弟系譜のような流れがあります。そして作曲家の登竜門であるローマ賞作曲コンクールを目指してカンタータ(なぜかお題はカンタータ)を作曲する、という流れになります。
それにしても、この年代、すごい名前が目白押しですね。
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テーマ : クラシック ジャンル : 音楽

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