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2007.04.25 (Wed)

フランス近代  ミヨー

フランス六人組とまとめて呼ばれることがありますが、その6人というのは、ミヨー、オネゲル、プーランク、タイユフェール、デュレ、オーリックの6人のことですが、これは1920年頃に『5人のロシア人と6人のフランス人とサティ』という論文に書かれたところに由来しているようです。<6人>とまとまられているものの、共同作業は「六人組のアルバム」というピアノ小品集を出版したくらいで、単なるサティのもとで集まったサロンの面々という感じです。

その中の一人、ミヨー(1892-1974)はプロヴァンス生まれ。この南フランスの地中海やラテンという環境が大きく影響します。15歳でドビュッシーの弦楽四重奏曲に触れ、作曲家を志します。
パリ音楽院に入学し、デュカに管弦楽法を、ジェダルジュに対位法を学び、オネゲルやイベールと友人になり、詩人ポール・クローデルとも知り合って大きな影響を受けます。ミヨーは音楽院の学生の時からこの時代の作曲家には珍しく多作で、オネゲルらが新曲を1曲提出するのに対しミヨーは数曲提出、場合によっては曲集を提出していたようです。
1916年クローデルとの関係から、ミヨーはブラジルに赴きます。生来のラテン性が刺激され、「屋根の上の牛」「スカラムーシュ」「ブラジルの郷愁」などを作曲。個性的な作品をどんどん発表します。

ミヨーは多調性(複調性)の研究を進めて、叙情的な「室内交響曲第1番」を作曲。多調性というのは同時に2つ以上の声部がそれぞれ別の調で書かれた作品で、ミヨーはバッハのカノンにヒントを得てこの可能性を広げました。バッハの2声のカノンでは上声部がニ短調、下声部がイ短調で書かれていたことを発見したのでした。
帰国して1920年あたりから、六人組などの活動を行い、どんどん問題作を発表。酷評されてもどんどん作品を発表します。「世界の創造」ではあるとサクソフォンをフィーチャーしています。
第二次大戦中はアメリカへ亡命。ここでは吹奏楽作品の傑作「フランス組曲」を作曲。
1930年にクローデルが台本を担当したオペラ「クリストフ・コロンブス」がベルリン国立オペラで大ヒットします。
後年、大家となったミヨーはパリ音楽院で後進の指導にあたります。

ミヨーの特徴であるラテン性によってとてもスッキリした作風となっています。そして多調性は、あくまでも叙情性に富んだ美しい響きですので、とんでもない不協和音は登場しません。
ドビュッシー、ケクラン、ストラヴィンスキーに影響を受けるものの、それをミヨー自身の気質で自身の語法で作曲されたため、個性的で面白い作品が多いです。同時代のイベールやプーランク、オネゲルとは作風は全く違います。一般にいう[フランス近代]というイメージでフランスの作曲家を捉えるのは、かなりいい加減だということがはっきりわかります。
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テーマ : クラシック ジャンル : 音楽

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