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2006.09.05 (Tue)

フランス近代  セヴラック

マイナーな作曲家、とはいうものの、その魅力を感じた人はおそらくずっと愛聴し愛奏するのではないか、と思われるセヴラック。
今回は、まだ彼のピアノ作品を聴いたことのない人や弾いたことのない人にぜひとも接していただきたいと思うセヴラックです。
例によって、独断と偏見でのオススメ作品は色字で…。

デオダ・ド・セヴラック(1873-1921)はフランスのラングドッグ地方の貧しい貴族の家に生まれました。幼少期はまず地元のフェリクス聖堂のオルガニストに学び、ソレーズ校でオーボエ、ピアノ、オルガンを学びます。その後トゥールーズで93年から3年間音楽を学んだ後、パリに出てスコラ・カントルムでダンディに作曲を、マニャールに対位法を学びました。
しかし彼はドビュッシーにも興味を示し、またフォーレやアルベニスとも交友を深め、ショパンやシューマンの詩的な世界をも愛したといわれます。
その後都会の生活が合わなかったのか、1910年に故郷のラングドッグへ戻り、故郷の聖ピエール教会でオルガニストを務め、村の吹奏楽団を創設したり故郷の人々と過ごしながら、元来病弱な彼は1921年に47歳で亡くなりました。
ドビュッシーは彼の作品を 「とても素敵な香りのする音楽」と評したといわれています。
現在セヴラックの作品はそのほとんどがピアノ作品で知られています。

私見ですが、1908年に作曲された「日向で水浴びする女たち」はまるで、モネなどの絵画を音楽にしたかのような印象を受けます。実に生き生きとしています。
また、1911年作曲の「休暇の日々から」という曲集には、小品がたくさん集められていて、素朴な響きがします。シューマンとの類似性も指摘される作品でもあります。
また、1908-11年にかけて作曲された「セルダーニャ」も素朴な香りのする素敵な作品です。

セヴラックの作品は、和声ではシャブリエやドビュッシーなどの影響を受けながら、より簡素でひなびた感じで明るく開放的な作品です。
もっと多くの方に聴かれ、演奏されてもいいのではないか、と思います。
CDもここ最近のセヴラックの再評価からいろいろ出ていますが、舘野泉さんのアルバムの演奏が素晴らしいのでご紹介します。

テーマ : クラシック ジャンル : 音楽

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2006.08.23 (Wed)

フランス近代  ルーセル

今回はドビュッシーと同時代の作曲家の3人目、ルーセルです。
ドビュッシーやダンディの影響で語られることの多いルーセルですが、よくよく見ていくと和声の影響はあるにせよ、シャブリエやラヴェル、デュカと同様に古典的な伝統の延長線上にある作曲家だということがわかります。

アルベール・ルーセル(1869-1937)は北フランス生まれ。11歳頃からピアノに親しむものの海軍に憧れ、25歳まで海軍軍人で、フランス領インドシナに行ったこともある一風変わった経歴をもつ作曲家です。軍隊を退役後地元の音楽院で、その音楽の才能が認められ、スコラ・カントルムでヴァンサン・ダンディに学びました。卒業後もルーセルはスコラ・カントルムで教鞭をとり、のちにサティを教えることになります。

1904年に交響曲第1番ディヴェルティスマンを作曲。1913年にはファーブル昆虫記を題材としたバレエ「蜘蛛の饗宴」でヒットします。
第一次大戦により元海軍将校だったルーセルは海軍に志願するものの断られ、陸軍に従軍します。
そして1920年代には次々と素晴らしい作品を残していきます。交響曲第2番組曲ヘ長調、フルート三重奏曲など。
30年代に入ると、ルーセルはアメリカに行き、交響曲第3番をクーセヴィッキー指揮ボストン交響楽団で初演、大成功します。その後、バレエ「バッカスとアリアーヌ」がパリ・オペラ座で大ヒットし、のちに音楽は組曲とされ、こちらが現在ではよく演奏されています。
このほか、弦楽四重奏曲交響曲第4番を作曲します。
その後、1937年8月23日にルーセルは亡くなります。

作風はシャブリエやダンディ、ドビュッシーの和声の影響を最初は受けていましたが、新古典主義的な作風になっていきました。
少し渋い感じのする作曲家ではありますが、聴けば聴くほどその音楽の良さに引き込まれていきます。


テーマ : クラシック ジャンル : 音楽

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2006.08.05 (Sat)

フランス近代 ~ デュカ

ドビュッシーと同世代の作曲家第2弾はデュカです。ご存じない方も、おそらくは映画「ハリーポッター」でよく使われていたので、知らずに聴いているのではないかと思われます。
しかし、大変自己に厳しい作曲家で、生前に「残していい」と考えられる作品以外はすべて破棄し、最終的にはたった13の作品だけを残したのでした。

ポール・デュカ(1865-1935)はパリに生まれ、幼少から音楽に興味を持ち、81年にパリ音楽院に入り、和声をデュボア(このデュボアという人、後年ラヴェルをローマ賞審査でハネて周りから反発により辞任させられてしまう)、作曲法をギローに師事し、この作曲のクラスではドビュッシーと出会い仲良くなっています。
例のごとく作曲家の登竜門ローマ賞コンクールに挑むものの大賞は逃してしまいます。92年、「ポーリュクト序曲」で成功し、95年には「交響曲」を作曲します。続いて作曲した、冒頭でもご紹介した映画「ハリーポッター」でも使われていた「魔法使いの弟子」で大成功します。
このあと、1900年に「ピアノ・ソナタ」、03年に「ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲」などピアノ作品とオペラ「アリアーヌと青髭」を作曲します。12年にバレエ「ラ・ペリ」を作曲して、このあとから作品が残っていません。作曲したものの破棄されたようなんです。
このほか、1921年ごろからフォーレに誘われてパリ音楽院で後進の指導にあたり、メシアンなどを育てています。

デュカは他のフランスの作曲家と同様に、シャブリエやドビュッシーに和声の影響を受けますが、本質的にはベートヴェンを規範としているようです。
「ラモーの主題による変奏曲、間奏曲と終曲」はベートヴェンの「ディアベリ変奏曲」を、ピアノ・ソナタはベートヴェンの後期弦楽四重奏曲を規範にしている(アルフレッド・コルトー談)というのです。
後期ロマン的でありながらそれに溺れず常に抑制され、古典的構成に立ち戻ることにより作品の見通しが開け、ここにフランス的な色彩感あふれる和声をちりばめられた、素晴らしい作品ばかりです。
印象派、というと曖昧模糊としたイメージですが、ドビュッシーの友人でもあるデュカの作品には曖昧な線はありません。作品は派手でもありますが、叙情的でもあり、抑制されたロマンが旋律の甘さを引き出します。見事なバランス感覚で、その管弦楽法はストラヴィンスキーやベルクといった人にも影響を与えたと言われるほどです。

バレエ「ラ・ペリ」(冒頭のファンファーレが特に見事です…ってこの作品も破棄されかけたらしいです、オソロシイ)や「交響曲」、上記のピアノ作品などは本当に聴き応えがありますので個人的にもかなり気に入っています。

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2006.08.03 (Thu)

フランス近代 サティ

いよいよドビュッシーやラヴェルと同世代の作曲家にスポットを当てていきます。

ドビュッシーやラヴェルと並んで革命的に登場するのがサティ。
相変わらず色字は、私の独断と偏見によるオススメ作品です。

エリック・サティ(1866-1925)は幼少の頃はあまり幸せに過ごせていないようで、母が70年に亡くなり、祖父母に預けられるものの祖母が不可解な溺死という出来事がサティに影響している、と言われています。
13歳でパリ音楽院に入学も、軍隊に入り中退。軍隊もわざと風邪をこじらせて退役。既に奇妙な行動を起こしています。この頃からカフェのピアニストとして生計を立て、生まれた作品が「3つのサラバンド」や「ジムノペティ」
90年にはドビュッシーと、94年にはラヴェルと知り合う。このころ「ジュ・トゥ・ヴ」を作曲。ドビュッシーには惹かれたようで、「梨の形をした3つの小品」について意見を求めています。このころから奇行は本格化。
ドビュッシーやラヴェルが成功していくのを焦りと感じたのか、05年スコラ・カントルムに入学し、ルーセルに対位法を習い08年に卒業。苦労して習得した対位法を使った作品を発表するものの、認められず批判されます。
その後、1910年前後から、ラヴェルらが「ジムノペティ」を取り上げ、その結果、サティにとって20年以上昔の作品で評価されるようになり、サティは戸惑います。ドビュッシーの評価が落ち始め、若手がサティの「ジムノペティ」など昔の作品を評価するようになり、サティの取り巻く環境が変化していきます。
12年から15年にかけて「スポーツと気晴らし」などのピアノ曲を作曲。この頃にはオーリックやストラヴィンスキーと出会っています。ストラヴィンスキーとはドビュッシーを通じて知り合ったようです。
17年にはコクトーとピカソによってバレエ「パラード」を上演、問題作となります。これによって若い音楽家が集まり、後年サティと6人組と呼ばれるグループになります。このあとも挑発的な作品を発表し、1925年に亡くなります。

サティに関しては、賛否両論であまりにもいろいろいわれています。
サティは当時流行したワーグナーにもドビュッシーの霧にも毒されていない作曲家のように思います。つまり、既成概念のない作曲家、というところでしょうか?
サティはフランス音楽の進路をいくつも示した、とラヴェルが言うように、サティがフランス音楽に多大な影響を与えたのは間違いないのですが、サティにしてみれば、我が道を進んでいる、だけのことのように感じてしまいます。
シンプルで心地のよい音楽、そういうイメージですね。

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2006.07.19 (Wed)

フランス近代 ドビュッシー以前 ③

前回まではヴァンサン・ダンディを強引に紹介したところでした。
以下も前回どおり、作曲家の生誕順に紹介し、私の非常に勝手な独断と偏見でのオススメ作品を色字でご紹介いたします。

ダンディの後はメサジェ(1853-1929)がいますが、彼は指揮者としての方が有名かもしれません。フォーレやサン=サーンスに師事し、バレエ作品を作曲し、その作風はドリーブとそっくりです。
そして、ショーソン(1855-1899)です。パリ音楽院にてマスネ門下生となり、その後フランクと出会ってフランクに影響を受けます。彼は44際で亡くなるのですが、自転車で散歩中に柱に激突して亡くなりました(何だそれ?、って感じですが…)。作品は「ヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のための協奏曲」です。フランクに影響を受けた循環形式を用いた叙情的な作品です。また、「交響曲」も作曲しており、やはりフランク風ですが叙情性にあふれています。

女流作曲家として知られるシャミナード(1857-1944)。当初はオペラやバレエを作曲し非常に好評だったようですが、家庭を支えるため後年はピアノ演奏活動を行い、必然的にピアノ作品が多く、また歌曲も多いようです。興味はあるものの私自身未聴です。「田園詩」やシャブリエのような「ブルターニュの歌」が良さそうです。

次にシャルパンティエ(1860-1956)。音楽史上ではシャルパンティエはもう一人古い人がいますが、彼は新しい方(?)です。マスネ門下でローマ賞受賞。これによりローマ留学中に作曲された組曲「イタリアの印象」が知られています。この作品をサン=サーンスは賞賛していて、その作風はマスネ風でロマンにあふれています。

ここまでかなり荒っぽく、ザーッと見てきましたが、この後ドビュッシーが生まれることになります。ここで注意したいのは、これらの作曲家が活躍していた或いは活躍し始める頃にドビュッシーやラヴェルが生まれることになるので、同時代を生きた作曲家、ということになります。
一方他国に目を移すと、ブラームス(1833-1897)やブルックナー(1827-1896)が活躍し、リスト(1811-1886)やワーグナー(1813-1883)が晩年をむかえ、チャイコフスキー(1840-1893)が活躍し始め、マーラー(1860-1911)が生まれる、という情勢です。
これに当時の政治背景や他の芸術を見ると、その様子が鳥瞰できるわけですが、キリがないので…(以下省略)。

これ以降は、ドビュッシーと同時代の作曲家を個別に見ていきたいと思います。
どうぞ気の向いた方はお付き合いくださいませ。

テーマ : クラシック ジャンル : 音楽

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